海運業界のESG

2021年11月1日

サステナビリティに対する意識の高まり、主要各国・地域による脱炭素の目標設定や業界の取り組み等を受けて、さまざまな分野・業界でサステナビリティに貢献するための取り組みが加速しています。 本レポートでは、当社のアナリストの分析も交えて、そういった取り組みを紹介します。

第一回目の今回は、海運業界の環境問題に対する取り組みについてです。

運用業務部 投資情報グループヘッド 渡辺英 茂

運用業務部 投資情報グループヘッド
渡辺 英茂

海運業界のESGトピック

海運業を取り巻く環境

海運業は国内外の物流の重要な担い手として欠かすことのできない存在です。積み荷には一般的な貨物から、原油・LNGなどのエネルギー、鉄鉱石などの資源、穀物などの食糧等、さまざまな物資があり、これらを比較的低コストで大量に運搬できるため、物流手段として経済的なメリットが大きいことが特徴です。


一方、環境面を考えると、運航の動力源には主に内燃機関が使用され、通常、CO2や大気汚染物質の排出を伴います。また運航中に、いったん事故や災害が生じると、積み荷や船体の損害・損傷のみならず、燃料油の流出による海洋汚染、船体損壊・座礁による環境汚染や航路妨害など、多大な悪影響を及ぼします。


このため、海運業は環境関連の規制強化や各種施策の策定に自主的に取り組んできた歴史的経緯があります。主な取り組みには、大気汚染防止、海洋環境保全、温暖化防止があります。昨今の環境問題に対する世界的な意識の高まりもあり、海運業は図表1の通り取り組みを加速させています。これらの規制・条約等は主に、国際海事機関(IMO)によって全世界で統一した ルールを運用する視点で作成されています。このうち足元で特に注目が集まっているのが、温暖化防止を目的とするCO2を主体とした温室効果ガス(GHG)についての規制です。

●図表1 海運業界の環境問題に対する取り組み

項目 規制、条約 内容
大気汚染防止 SOx規制 排ガス中に含まれるSOx発生を抑制するための、燃料油に含まれる硫黄分含有率に関する規制。低硫黄燃料油の使用や排ガス脱硫装置の装着等の対応が求められている。
NOx規制 排ガス中に含まれるNOx発生を抑制するための、エンジン定格回転数に応じた排出 量に関する段階的な規制。
海洋環境保全 バラスト水管理条約 海洋環境に影響を及ぼす水生生物の移動を防止するための条約。出発地で搭載したバラスト水を到着地等で排出する際に、到着地には生息していなかった水生生物が吐き出されて生態系に影響を与えることを防止するため、バラスト水の浄化装置搭載を義務付け。
シップサイクル条約 船をスクラップにする際の、労働災害・環境汚染を抑制する条約。
船体二重化 万一の事故、災害に備えて、油汚染防止のため船底を二重化することを求める規制。
船体付着物に関する条約 バラスト水管理条約の目的と同様に、船底に付着した生物の移動を防止することを 目的に議論が進んでいる。
温暖化防止 SEEMP
(船舶エネルギー効率管理計画書)
船からのCO2排出削減を目的に、全船舶にSEEMPの保持を義務付ける規制。航海中はこの計画に則って運航し、航海後のレビューが求められる。
DCS
(燃料消費実績報告制度)
燃料消費量等の運航データを収集し、報告を求める制度。

(出所)各種報道・資料等を基に三井住友DSアセットマネジメント作成

Our World in Dataによると、2016年に排出された グローバルベースのGHGは494億トンで、このうち船舶由来の排出量は8億トン強、全体の1.7%を占めると推定されています。グローバルではIMOを中心に排出量削減に取り組んでいますが、日本でも、産学官公連携による「国際海運GHGゼロエミッション」プロジェクトが立ち上がり、2020年3月にはゼロエミッションに向けたロードマップが策定されました。さらに2028年までにGHGを排出しない究極のエコシップ「ゼロエミッション船」の商業運航を開始することが目標に掲げられています(国土交通省ホームページより)。海運業における排出量削減がGHG排出量ネットゼロ達成に大きく寄与することが期待されます(図表2)。

●図表2 世界の産業別温暖化ガス排出(2016年)

海運業界のGHG削減戦略

2050年までにGHG排出ゼロを目指す

2018年4月に開催されたIMOの第72回海洋環境保護委員会(MEPC72)で、GHG削減戦略が採択されました。この戦略は、単一セクターとして今世紀中のGHG排出ゼロを目指すことを世界で初めてコミットする内容となりました。省エネ技術の更なる促進、経済的インセンティブ手法の導入、新たな燃料の使用などを通じ、①2030年までに国際海運全体の燃費効率を40%改善し(2008年対比)、②2050年までにGHG排出量を半減させ(同)、③最終的には今世紀中のGHG排出ゼロを目指す数値目標が掲げられました。同戦略では、短期・中期・長期の3つの時間軸ごとにGHG削減策を打ち出しています(図表3)。

●図表3 IMOのGHG削減戦略

時間軸 合意予定時期 主な施策
短期対策 2023年まで 燃料規制強化など
中期対策 2023年から2030年まで 低炭素燃料の導入、市場メカニズムの導入など
長期対策 2030年以降 ゼロ炭素燃料の導入など

目途がついた短期対策、日本の大手海運会社への影響は軽微

2018年にGHG削減戦略が採択された時点ではまだ削減の具体的手法は明確ではありませんでしたが、その後の議論などを踏まえ、2023年までの短期対策に係る方針は明確になりました。短期対策を徹底できれば、①の2030年削減目標は達成可能と考えられます。


図表4に記載した3つの短期対策の日系大手海運3社(郵船、商船三井、川崎汽船)への影響は軽微とみられています。日系大手の運航船舶の平均船齢は7~8年が最も多く、過度に古い船舶は少なくなっています。これは、一定の船舶更新をこれまで行ってきたためです。一方、高齢船の割合が大きいとみられる海外海運会社への影響は相対的に大きいとみられ、エネルギー効率設計指標(EEDI)規制導入が近づくにつれて、エンジンにリミッターを付けるなどの対応を余儀なくされる見込みです。環境性能の劣る老齢船の退出圧力も強まりそうで、スクラップによる需給引き締め効果が期待できそうです。

●図表4 IMOのGHG削減短期対策の具体的内容

対策 具体的内容
短期対策1 最も大きな柱となるのがEEXI(Energy Efficiency Existing Ship Index)規制。2020年11月のMEPC75で提案されたこの規制は、現存船に新造船と同レベルの燃費性能の達成を義務づけている。
短期対策2 燃料実績格付け制度の導入。1年間の燃費実績を事後的に検証し、AからEまでの5段階で評価し、E評価や3年連続でD評価を受けた場合には主務官庁に対して改善計画の提出と実行が求められる見通し。
短期対策3 EEDI規制の厳格化で同規制は5年を目途に規制レベルを引き上げることが規定されていたが、CO2排出量の多いコンテナ船など一部の船種については、適用時期の前倒しにより現行よりも高い削減率を要求。

中長期の対策は今後、日本はLNGを移行ステップとして活用

中期対策の具体的な内容は2023年以降に決まる見通しであり、現段階で詳細な内容は不明です。ただし、従来の規制強化だけでは2050年目標の達成は難しいといえ、CO2を排出しないゼロエミッション船の実用化や代替燃料の普及が必須とされています。こうした認識の下、2020年11月のMEPC75にて、ゼロエミッション船の研究開発を支援する「国際研究基金(IMRF:International Maritime Research & Development Fund)」の創設が提案されました。この中でEUの排出権取引制度(EU-ETS)への対抗措置も打ち出されました。IMRFと同じような資金の強制徴収制度が創設された場合の二重徴収禁止の提案を通じて、EU-ETSはIMOの規定違反になる可能性を示唆しています。IMOは2021年11月のMEPC77でIMRFの採択を目指しており、最短で2023年から基金拠出を開始する計画です。


2050年の長期目標達成に向けて、日本国内でも代替燃料やGHG削減技術の開発が進められています。国土交通省などが主体となって取りまとめたゼロエミッションに向けたロードマップでは、水素燃料船、アンモニア燃料船、カーボンリサイクルメタン燃料船、船上CO2 回収設備を持つ大型船が有力とされます。ただし、どのようなシナリオを想定するにしても、これら代替燃料や新技術の投入が実現性を帯びる時期は2020年代後半以降であることから、当面はLNG燃料を主体とする方向性が示されています。

日本に厳しいルール変更の可能性も

この日本のロードマップに対し、コンテナ業界世界最大手のマースクは2021年2月17日、世界初となるメタノール燃料を使用したカーボンニュートラルのコンテナ船運航を2023年から開始すると発表しました。マースクは当初2030年からゼロエミッション船の導入を掲げていましたが、計画を7年前倒ししました。マースクは2050年のカーボンニュートラル目標達成が視野に入ったとコメントしており、今回のメタノールやアンモニアを次世代の有力な燃料と位置付けている模様です。一方、マースクはLNG燃料を次世代燃料に位置付けることに否定的な見解を示し、LNGを燃料とする船舶投資は原則行わない方針です。LNGは化石燃料由来ゆえGHG削減効果が限定的であることがその理由で、世界銀行もその考えを支持しています。世銀は2021年4月に発表したレポートにおいて、LNGが海運のGHG削減に果たす役割は限定的という結論を示しました。LNGはインフラ整備がそのまま活用できるカーボンリサイクルメタンへ移行するための過渡期の燃料に過ぎないうえ、メタン自体も水素やアンモニアと比べて安定供給に不安があり、コスト面でも割高との見方を示しています。またLNGを経てゼロカーボン燃料に転換した場合、ゼロカーボン燃料に直接移行する場合と比べて10~17%程度投資負担が増えると試算しています。


IMOのGHG削減戦略がさらに厳格化される展開にも注意が必要です。4月20日、アメリカのケリー特使は、気候変動サミットにあわせて開かれた特別会合で、船舶の温暖化対策についてGHG排出量を2050年までにゼロにする目標を提示しました。米国はIMOのGHG削減戦略について、より踏み込んだ内容を示しました。また、米国の気候変動サミットに先立ち、ボルチック国際海運協議会(BIMCO: Baltic and International Maritime Council)など複数の海運団体が、CO2排出量に対する税金導入に向けて各国に働きかけを行ったことも明らかになりました。またEUでも、EU-ETS制度の導入を含め、海運セクターに対するEUからのGHG削減圧力は今後一段と強まりそうです。


2023年以降にIMOは中期対策に係る方針を打ち出す予定ですが、すでに2030年のGHG削減目標達成は視野に入っていることから、現状のGHG削減戦略を見直して一段と高い目標が設定される可能性もありそうです。


気候変動問題は喫緊の課題であり、新たな目標次第では、LNG燃料を中心に据える日本のロードマップ自体が大幅な見直しを余儀なくされるリスクも考えられます。今後も議論の行方を注視する必要があります。