2025年5月29日
三井住友DSアセットマネジメント
チーフグローバルストラテジスト 白木 久史
【マーケットの死角】
マーケット視点で読み解く「令和の米騒動」
記録的な高値が続く米価と金融市場
記録的なコメ価格の上昇が続いています。4月の消費者物価指数は前年同月比で+3.6%となり市場予想を上回る高い伸びを記録しましたが、物価高をけん引したのは食料品価格の上昇で、なかでもコメ価格は前年同月比で+98.4%の急騰となりました。日本人の主食であるコメ価格の記録的な高騰は、巷をざわつかせる「社会ネタ」に留まらず、日本経済や金融市場に影響を与える「経済ネタ」の側面があります。そこで今回は、マーケット目線で「令和の米騒動」の影響や背景について掘り下げてみたいと思います。
1.日本を揺さぶる「令和の米騒動」
■内閣府が5月16日発表した日本の実質国内総生産(GDP)速報値は、前期比年率▲0.7%となり4四半期ぶりのマイナス成長となりましたが、景気減速の主因としてGDPのほぼ半分を占める「個人消費」の伸び悩みが指摘されています。
■日本の景気が失速しつつある背景には食品価格の上昇、中でもコメ価格の記録的な値上がりが少なからず影響しているように思われます。というのも、日本人の主食であるコメ価格の値上がりは、インフレを通じてわたしたちの実質的な賃金を押し下げるとともに、レジャーや耐久消費財といった「裁量的な支出」に振り向ける可処分所得を減少させてしまうからです。
■4月の消費者物価指数(CPI)を見ると、食品価格は前年同月比+6.5%の上昇となり、なかでも「米類」は前年同月比で+98.4%と1年でほぼ倍に上昇しており、1971年1月以降の比較可能な統計で最大の上げ幅を記録しました(図表1)。
■記録的なコメ価格の上昇は、日本経済にどれほどのインパクトを与えているのでしょうか。農林水産省(以下、農水省)の推計によれば今年の主食用米の需要は約705万トン、直近のコメの店頭価格(5月12~18日調査)は5キロ当たり4,285円ですから、単純計算でわたしたちは主食用のコメに年間で約6兆円を支払う計算になります。
705万トン×1,000キロ÷5キロ×店頭価格4,285円=6,041,850百万円
■もちろん、705万トンのコメが全てスーパーの店頭に並ぶわけではありませんが、小売店の棚がスカスカになる一方で外食用のコメなどは大きな支障もなく供給されている状況から、小売店向け以外のコメが極端な安値で取引されているとも考えにくく、こうした試算も一つの参考になるものと思われます。

「令和の米騒動」のマクロ経済へのインパクト
■現在、日本の名目GDPは約624.8兆円、個人消費は約338兆円ですから(2025年1-3月期の速報値、年率換算)、主食米の出費の概算値である6兆円は、日本の個人消費の約1.7%に相当する金額になります。ちなみに、昨年の今頃のコメの店頭価格(5キロ)は2,160円なので、この1年間でコメのための出費が約3兆円増加する計算になります。
■税率10%の消費税の税収が約24.9兆円(2024年度見込み)ですから、この3兆円という金額は消費税でいえば約1.2%の税率に相当する金額になります。こうした数字を見る限り、「令和の米騒動」のマクロ経済へのインパクトは決して小さくないように思われます。政府は3月から備蓄米の放出を開始してコメ価格の引き下げに動いていますが、一部で指摘される流通での目詰まりなどもあってか、コメ価格の高騰に歯止めがかからない状況が続いています。こうした記録的なコメ価格の高騰の背景には、いったい何が有るのでしょうか。
2.マーケット視点で読み解く「令和の米騒動」
■なぜ1年でほぼ倍になるような記録的なコメ価格の高騰が起きるのか、まずは、米の需給に関するデータとコメ価格の動向を見てみましょう。農水省の発表によれば、今から17年前の2008年度の主食用米の需要は年間約855万トン、供給は約866万トン、民間在庫(各年6月末)は約160万トンでした。そして、需要・供給ともに一貫して右肩下がりを続けて、2024年度には需要が約705万トン、供給は679万トンまで減少しています。
■この間の「米類」のCPIの推移(9月から翌年8月までの平均値)を見ると、コメ価格の前年比と米の需給ギャップ(需要-(供給+民間在庫))は概ね連動して変動しており(図表2-1)、二つの数字の関連の強さを示す相関係数は約0.73となっており(図表2-2)、統計的に見て強い相関関係にあることが確認できます。

■株であれ、債券であれ、商品市況であれ、マーケットでは「売り手」と「買い手」が自己の利益を最大化するよう振る舞うことで「適正価格が決まる」とされています。そして、コメの需給と価格の関係から見えてくるのは、他の市場と同様な「マーケットメカニズム」の存在ではないでしょうか。つまり、マーケット視点から見た「令和の米騒動」は、主食用米の需給の引き締まりが起点となった「自然な値動き」とすることができそうです。
3.コメ流通の「市場構造」と「ガバナンス」
■コメ価格の急騰の背景に「需給の引き締まり」があるとしても1年でほぼ倍にまで上昇するのは、需給バランスだけでは説明がつかない部分があるように思われます。そこで、コメの需給以外に価格に影響を与えそうな要因として、コメの流通の「市場構造」と「ガバナンス」について確認してみたいと思います。
農協の圧倒的なプレゼンス
■農水省のデータによれば、2022年の主食用うるち米の生産量は約653万トンですが、そのうち農家による自家消費や直接販売を除く約303万トンが、「集荷、検査、精米、加工」を行う集出荷業者に集められ、卸売業者を経てわたしたち最終消費者に届けられます。そうした集出荷業者が扱う主食用米の約94%、約284万トンが農協経由で流通しているとされています(図表3)。

■また、農協は集出荷業者としてコメ流通に関わるだけでなく、卸売業者としても市場に参加しています。農協の全国組織である全国農業協同組合連合会(JA全農)の子会社である全農パールライス社は年商約1,200億円、年間の米取扱量35.6万トン(2024年3月期)を誇る日本トップクラスの米穀卸売業者で、全国43カ所の精米工場を構えています。
■昨今、こうした米穀卸のビジネスは、コメ価格の上昇が大きな追い風となっているようです。例えば、米穀卸大手で東証プライムに上場する株式会社ヤマタネの決算を見ると、同社の食品カンパニー部門の業績はコメ価格の高騰などを背景に、売上は2年前の約210億円から2025年3月期には約496億円へ約2.4倍に急増し、営業利益は同約74百万円から約31.7倍の約2,351百万円に急拡大しています(図表4)。
■また、JA全農や全国各地の農協は、全農パールライスのような子会社を通じてだけでなく、自らも米穀卸として小売りや外食産業などと取引しています。例えば、イトーヨーカドーが扱う自社ブランド米「あたたかのお米」は、JAみなみ魚沼やJA稲敷から直接仕入れているようです。また、牛丼チェーンの吉野家は、JA全農や農協を通じて生産者ともやり取りしながら、独自の「牛丼にあうブレンド米」を調達しているとされています。

■こうしてみると、農協は集出荷業者としてコメ流通の中心で圧倒的なシェアを持つだけでなく、米穀卸としても市場に強い影響力を有している可能性が指摘できそうです。このように、コメ流通のサプライチェーンにあって他のプレーヤーを圧倒する農協の市場シェアや存在感は、コメ価格の高騰が利益の拡大につながる収益構造と併せて考えると、需給のひっ迫によるコメ価格の変動を増幅してしまう可能性がありそうです。
「ガバナンス」の観点から見た「令和の米騒動」
■集出荷業者や米穀卸の業績は、コメ価格の上昇がプラスに働く可能性が指摘できそうです。というのも、単価が上昇して米の流通金額が膨れ上がるにつれて、売買手数料にあたる口銭は増加していきますし、サプライチェーンに留まる中間在庫に評価益が生じることになるからです。つまり、農協や米穀卸からすれば、「コメ価格が上がってほしい」と願うのは、コメ流通を生業としている以上は自然な思いと言えそうです。
■一般的に、商品の価格が市場の需給を反映して変動するのはごく自然な動きといって良いでしょう。しかし、同業者間で販売価格を相談したり、申し合わせて出荷を絞るようなことがあれば、それは法的、道義的に許容されるものではないでしょう。
利益相反と構造的なガバナンス不全の可能性
■農水省には公正なコメ取引や価格形成について、公正取引委員会とともに業界を管理監督する立場にあります。そんな農水省が2005年に取りまとめた「全農改革」では、「農林水産省の幹部職員が全農の役員に就職するという 、いわゆる『天下り』は今後とも行わないということをこの際明言する(全文まま)」と宣言しています。しかし、内閣府の公表資料によれば、2009年以降だけで28人もの農水省OBがJA全農や農協の関連団体に天下りしていると報じられています。
■本来なら、コメ流通の「アンパイア」として業界の「プレーヤー」を管理監督する農水省の利害がプレーヤーと一致してしまうと、そこには利益相反やガバナンスの不全が生じかねません。もし、こうした懸念が的外れでないなら、仮に不公正な取引があった場合でも、十分な牽制機能が働かない可能性がでてきます。
■マーケット視点でコメの「需給」「市場構造」「ガバナンス」について見ていくと、現在の異常ともいえるコメ価格の上昇はある種の必然であると同時に、「令和の米騒動」はなかなか収まらないようにも思えてきます。
■「軍隊は胃袋で進む(Une armée marche sur son estomac)」として、戦争における兵站(へいたん)の重要性を説いたのはフランスの皇帝ナポレオンです。「令和の米騒動」で日本経済の兵站・補給に支障が生じるようなことがあれば、今後の景気動向や金融市場に少なからず影響を与える可能性があるため注意が必要でしょう。
まとめに
コメ価格が1年で倍になるような記録的な価格高騰が続いていますが、生活必需品である食品価格の上昇は実質賃金の低下をもたらすとともに、裁量的な消費支出を減少させることで日本経済に影響を与えつつあるように思われます。
「令和の米騒動」をマーケット視点で分析すると、その記録的な価格高騰の背景には、「需給」「市場構造」「ガバナンス」の3つが相乗効果で作用しているように思われます。
「令和の米騒動」が長引くことで日本経済の「兵站」が滞るようなことがあれば、今後の景気動向や金融市場に少なからず影響を与える可能性があり注意が必要でしょう。
※個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。