2025年5月21日
三井住友DSアセットマネジメント
チーフグローバルストラテジスト 白木 久史
【マーケットの死角】
いら立つ米国の「報復」に怯える為替市場
それでも「ドル高が米国の国益」なワケ
米中による関税の報復合戦がひとまず休戦となったことから、株式市場はある種の高揚感をともない大きく反発しています。一方、為替市場では一時的にリスクオンによる米ドルの買戻しが見られたものの、足元ではドル円を始め対アジア通貨で乱高下するなど、株式市場の楽観ムードに水を差しかねない展開となっています。
こうした「ちぐはぐ」な印象を与える為替市場の動きの背景には、トランプ関税による世界景気の不透明感もさることながら、米中間の通商交渉の裏で積み上がった、ホワイトハウスの同盟国に対するいら立ちがあるのかもしれません。
1.米中歩み寄り後も神経質な展開続くアジア通貨
■5月14日のロンドン時間早朝、外国為替市場ではこれといった材料がない中でドル円が約1%も急落して、米中関税交渉の一時休戦から楽観ムードが支配的だったマーケットディーラーたちをざわつかせました。その後、「米韓の高官が通商協議で為替政策を協議する」との報道が流れたことで韓国ウォンが急伸し、つられてドル円もあっという間に2円以上の円高となるなど、為替市場が大きく揺れ動くこととなりました。

疑心暗鬼が続く為替市場
■暫くして、大手通信社が米当局の関係者の話として、「米韓の通商交渉では通貨政策を合意に盛り込まない」とするコメントを流したことでいったん動揺は収まりましたが、市場ではその後も疑心暗鬼が続いているようです。
■というのも、トランプ政権は関税を武器にした対中戦略が大幅な譲歩に追い込まれたことから、次は為替をカードに攻勢に出るのでは、との懸念がくすぶっているからです。市場参加者の間には、米中の関税合戦の過程で対中包囲網の構築に非協力的だった一部の同盟国に対して、「米国が為替による報復に踏み切るのではないか」とのうがった見方もあるようで、そうした「思惑」に市場が身構えているように見受けられます。
2.「裏切り者への報復」に怯える為替市場
■為替カードを使った「米国による報復への懸念」については、これまでの日米交渉の経緯を振り返っていくと、単なるフィクションでは片付けられないリアリティが滲んできます。トランプ関税の発表を受けた日米通商交渉は、4月16日に渡米した赤澤経済再生担当大臣と米当局との間でスタートしましたが、対中包囲網に同盟国である日本を取り込みたい米国はトランプ大統領まで姿を見せるなど「異例の友好ムード」を演出し、さらに日本が避けたい為替相場について、交渉の場に持ち込むことはしませんでした。
米国の対中包囲網に積極参加の英国、様子見の日本
■こうした米国の態度からは、「悪いようにはしないから、米国の戦略(対中封じ込め)に協力してね」というサインがにじみ出ていたように思われます。しかし、その後の日本側の対応は、米国側の期待とはかなり違ったものであった可能性があります。というのも、日本政府は「日米の立場は隔たりが大きい」、「10%の一律関税含めて全て見直さないと合意できない」として、早期の合意には消極的な姿勢に終始しました。こうした対応は、早々に交渉を終結させて、「対中包囲網への参加」を表明した英国と比べると、その対応の違いが際立ちます。こうした日本側のある種の「消極姿勢」は、同盟国による対中包囲網を構築して米中交渉を有利に進めたかった米国の期待とは、大きく異なる反応であった可能性が高そうです。
米中対立の最中に日本サイドが送った「サイン」
■そんな米国をさらにいら立たせてしまったかもしれないのが、米中の通商交渉が激化する最中に日本の与党幹部が大挙して中国を訪問して、中国高官と協議を行っていたことです。与党の訪中団を率いてこの微妙な時期に中国を訪れた自民党の森山幹事長は、少数与党で国会運営に苦労する石破総理を支える党内きっての実力者です。そんな、森山幹事長が会長を務める日中友好議員連盟は、中国政府の対日工作機関の影響下にある「日中友好7団体」の一つとして、国防情報局(DIA)に名指しされています。
■こうした、政権与党内の動きを見て、米国側が「日中連携」が進むことへの疑心暗鬼を強めたとしても、決しておかしくないでしょう。また、韓国も同様で、親米保守とされる尹大統領が罷免されたこともあってか、韓国側の担当者は「経済安全保障ではなく自動車分野を中心に据えて交渉する」「急がない」と応じ、早期のディールにより米中どちらの陣営に加担するのか「旗色」を鮮明にすることはなく、ホワイトハウスの期待を肩透かしして見せたように見受けられます。
■トランプ政権はディールを通じた対中包囲網の構築が遅々として進まない中、想定外の「米国市場のトリプル安」に見舞われたことで、対中関税を115%引き下げる大幅な妥協に追い込まれた格好です。対中通商交渉がこうした米中の大幅関税引き下げで一つのヤマを越えた今、米国が「大いなる誤算」の要因の一つとなった身内の不義理に対して、「為替を使った報復を始めるのでは」といった疑心暗鬼が市場で高まるのも、致し方ない事のように思われます。
やぶ蛇の「為替協議」を日本から切り出す不思議
■米中が相互に関税率を大幅に引き下げることで合意した翌日の5月13日、加藤財務大臣は唐突に「カナダで開催されるG7財務省・中央銀行会合でベッセント財務長官と為替について協議する」と発言して、市場関係者を当惑させました。というのも、日本の基幹産業である自動車産業は米国市場への依存度が高く、通商交渉で為替が持ち出されることについて、日本政府は強い警戒感を持っていたからです。
■にもかかわらず、やぶ蛇になりかねない発言が日本側の高官から飛び出したことについて、「日本の対応に怒った米国が為替カードを持ち出した」と言われることを懸念して、あえて自ら持ち出して見せたのかもしれません。
■こうした日米交渉にまつわる一連の流れ、日本側の対応、そして、米国側の受け止めについては、裏取りが難しいこともあって憶測の域を出るものではないでしょう。とはいえ、誰もが知っている事実では動かない相場の特性から、「先読み」「深読み」「裏読み」が大好きなマーケットの世界では、こうした憶測が時に相場を大きく動かすことも有るため、注意が必要でしょう。
3.それでも「ドル高が米国の国益」なワケ
■こうした経緯を見ていくと、米国が「報復」として円高カードを切ってくることに市場が戦々恐々とするのも、ある意味仕方がないように思えてきます。とはいえ、こうした懸念は杞憂に終わる可能性が高いのではないでしょうか。というのも、4月のトランプ関税ショックで米国株が急落した際に、米国債と米ドルが揃って売られる「トリプル安」が起こったことで、ベッセント財務長官以外のホワイトハウスの高官たちも、「市場の恐ろしさ」が身に染みているはずだからです。
覇権国の屋台骨を支える「ドル高」
■①米国民が優雅な消費生活を満喫し、②米国企業が巨額の投資資金を世界中からかき集め、そして、③米国が世界最強の軍備を維持するには、海外からの投資や借入が必要不可欠といって良いでしょう。そして、こうした覇権国としての地位を維持するためには、「ドル高」をテコにした円滑なファイナンスが必要不可欠といって良いでしょう。
対中戦略を大転換させた米中逆転への危機感
■米国の国家戦略においてドル高が極めて重要なのは、経済規模で世界一を維持することが米国の覇権に挑む中国に対抗する上で決定的に重要だと思われるからです。米政府は2017年に取りまとめた『国家安全保障戦略(NSS2017)』の中で、中国を「米国の安全や繁栄を侵食しようとする挑戦国(Attempting to erode American security and prosperity)」として再定義し、その強硬姿勢を鮮明にしました。
■この米国の対中政策の大転換の背景には、中国が見せる領土的な野心に加えて、米中の経済規模が逆転することへの危機感があったように思われます。当時、経済成長著しい中国は購買力平価基準で見たGDPで2017年に米国を抜き去り、当時は名目GDPでも遠からず米中逆転が起きるとする予測が大勢となっていました。
■世界の主要国の防衛予算は名目GDPに対する比率が一つの目安になりますが、名目GDPで米中が逆転すると、軍事力でも米中逆転に繋がる可能性が高まります。このため、もし名目GDPの米中逆転が実現すると、人口、経済規模、軍事力、経済成長力などの各点で米中逆転が生ずることとなり、米国は覇権国の地位から引きずり降ろされる可能性が高まります。
プラザ合意2.0が「良くできたナラティブ」なワケ
■こうした点を押さえていれば、最近、市場関係者の間で度々取りざたされる「マールアラーゴ合意」や「プラザ合意2.0」といった、大幅なドル高是正のための国際協調は、「よくできたナラティブ(Narrative、物語、フィクションのこと)」に過ぎないことが分かってきます。なぜなら、1985年9月に結ばれたプラザ合意(1.0?)では、国際協調によるドル安誘導の結果、主要通貨に対する米ドルの価値を指数化したドルインデックスで見た貿易相手国の通貨価値は、1年後の1986年9月には約31%、そして、約2年3カ月後の1987年末には約64%上昇しました。

人民元急騰で生じる名目GDPの米中逆転
■現在、中国の名目GDPは約18.27兆ドルで、約29.17兆ドルに達する米国の約63%に留まります(2024年の推計値)。しかし、プラザ合意と同様なインパクトのドル安が対人民元で発生すると、1年後に中国のGDPは米国の約82%に、そして2年3カ月後には米国の約103%に達し、米中の名目GDPは逆転することとなります(図表3)。
■こうした事態は、国益を重視するトランプ政権や、ドル高の維持が米国の覇権国を維持する上で不可欠であることを知るベッセント財務長官が、許容する可能性は極めて低いように思われます。そう考えると、米国がちらつかせる「為替カード」は、例えば採算の怪しい巨額の投資案件への出資や、安全保障の分野で日本に無理筋の譲歩を迫るための「交渉カード」に過ぎないのではないでしょうか。

まとめに
米中の通商摩擦が緊張緩和へと大きく動いたことで、株式市場では楽観ムードが広がりつつあります。一方、為替市場に目を転じると、アジア通貨が乱高下するなど、神経質な展開が続いています。
こうした株式市場と為替市場のコントラストの背景には、米国の対中包囲網に非協力的な同盟国に対する「報復への懸念」があるのかもしれません。
というのも、米国はディールを通じた対中包囲網の構築に手間取る中で米国市場のトリプル安に見舞われることで、対中関税交渉で大幅な譲歩に追い込まれた可能性が指摘されているからです。
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