ホームマーケットマーケットの死角パウエル議長を追い込む「もう一つのジレンマ」 ぶつかり合う「頑なさ」が招く最悪の事態

2025年5月14日

三井住友DSアセットマネジメント

チーフグローバルストラテジスト 白木 久史

【マーケットの死角】
 パウエル議長を追い込む「もう一つのジレンマ」
 ぶつかり合う「頑なさ」が招く最悪の事態

米連邦準備制度理事会(FRB)は5月7日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、政策金利を3会合連続で据え置きました。そして、FOMC後の会見でパウエル議長は早期利下げの必要性を明確に否定するとともに、トランプ大統領による利下げ要求をはねつけて見せました。こうしたパウエル議長の対応を、暴君から中央銀行の独立性を守るヒーローになぞらえて持ち上げる向きもあるようです。しかし、勧善懲悪のアニメやゲームの世界とは異なり、様々な力学が絡み合う現実の世界では、分かり易いハッピーエンドとは程遠い展開が待ち受けている可能性があります。

1.早期利下げを「全否定」するパウエル議長

■FRBは5月6、7日に開催されたFOMCで、3会合連続の政策金利の据え置きを決定しました。会合後の会見でFRBのパウエル議長は、「更に経済の不確実性が高まった」とする一方で、「米国経済は堅調」で「2019年のような予防的な利下げが必要な状況にはなく」、さらにトランプ関税により「インフレ上昇のリスクが更に高まっている」との見方を示しました。このため、市場では、次回6月会合を含む早期の利下げ期待が一気に吹き飛ばされることとなりました。

パウエルのタカ派姿勢にただよう違和感

■パウエル議長がタカ派姿勢を鮮明にしたことに、驚いた市場関係者も少なくないでしょう。というのも、①FRBが最も重視するインフレ指標の一つである3月のコア個人消費支出(PCE)価格指数は5年ぶりの低水準となる前月比±0%まで減速して、インフレは落ち着きを見せています(図表1)。また、②経済学の一般的な考えとして、米国のような大国が課す関税は普通の国と比べて物価に与える影響が限定的とされています。さらに、③消費税や関税によるインフレの押し上げ効果は一時的で基調的なインフレを変化させることは稀ですし、④ベッセント財務長官も指摘するように、足元で政策金利であるフェデラル・ファンド(FF)金利は米2年国債利回りを大きく上回る「金融引締め状態にある」からです(図表2)。

■経済の不確実性が高まる状況を想定するなら、本来、中央銀行は金融政策の自由度・機動性の確保が重要になります。しかし、こうしたタイミングで敢えて「早期利下げ」という政策手段・選択肢を封じて見せたことに、良く言えばパウエル議長の「矜持」を、悪く言えばある種の「頑なさ」を感じた市場参加者も少なくないでしょう。

2.パターン分けで考える米国経済の4つのシナリオ

■現在の状況でパウエル議長が取りうる金融政策の選択肢は、余程の事態を除けば「利下げ」と「金利据え置き」の2択になります。一方のトランプ大統領は、「関税の強行」と「関税の緩和」の2択になります。こうした二人が持つ2つの選択肢の組合せにより、今後の展開は次の4つのシナリオに分類することができます(図表3)。

  シナリオ1:「利下げ」&「関税の緩和」

  シナリオ2:「利下げ」&「関税の強行」

  シナリオ3:「金利据え置き」&「関税の緩和」

  シナリオ4:「金利据え置き」&「関税の強行」


■「シナリオ1」はトランプ政権が関税措置を大きく緩和する一方、FRBが利下げに踏み切るもので、株式市場にとっては二重丸のベストシナリオといえそうです。関税の緩和で景気やインフレについての不確実性が大きく後退することに加え、FRBの引き締め的な金融政策が緩和することで、米景気は今後も拡大を続け、株式市場は長期の上昇トレンドに回帰する確度がさらに高まると想定されます。

■「シナリオ2」はトランプ政権が関税措置を強行する一方、FRBが利下げに踏み切ることで米景気は底割れを回避し、さらに、株式市場は利下げによる金融相場で底割れを回避するシナリオになります。米国はこれまで大幅に政策金利を引き上げてきたため、ひとたび経済やマーケットが変調をきたせば、FRBは大胆な金融緩和に踏み切ることが可能です。つまり、景気や株式の観点からは、FRBによるフルスロットルでの金融緩和により市場参加者の信頼感が保たれることで、「シナリオ1」に次いで好ましいシナリオといえそうです。


■「シナリオ3」はFRBが利下げを躊躇する一方、トランプ政権が経済の悪化を回避するために、大胆な関税措置の見直しを行うシナリオです。ただし、この場合でも相互関税の基本税率である10%や、30%の対中追加関税が残る可能性が高いため、引き締め気味な金融政策が株式市場の重しとなる展開が想定されます。

最悪シナリオ、「金利据え置き」と「関税の強行」

■最後に、「パターン4」はFRBとホワイトハウスがともに金融政策や関税措置の継続にこだわることで、景気悪化とインフレが同時に進む「スタグフレーション」状態で、米国経済や株式市場にとって最悪のシナリオとなります。こうした4つのパターンに分けることで確認できるのは、FRBが利下げを拒んでいる限り米国にとって最善の組み合わせとなる「シナリオ1」が生じることはなく、良くて「パターン3」、悪くすれば最悪の「シナリオ4」に陥りかねないということです。一方、パウエル議長がトランプ大統領の要求を聞き入れて早期の利下げに踏み切るなら、悪くても「シナリオ2」に、良くすればベストシナリオの「シナリオ1」が実現し、市場は漫画やゲームのような「ハッピーエンド」を迎える可能性が高まります。

「伝説のトレーダー」の警告

■大手ヘッジファンドのオーナー兼CIOであるポール・チューダー・ジョーンズ氏は、5月6日に金融ニュース専門チャンネルCNBCの看板番組スクワーク・ボックスに出演して、「米国株はこれから新安値に向かう、何故ならトランプは関税に固執し、パウエルは利下げしないことに固執しているからだ」と警告しています。「伝説のトレーダー」としてウォール街でも一目置かれるジョーンズ氏の発言は、トランプ大統領のもたらす不確実性への警戒感は勿論ですが、パウエル議長がトランプ大統領への対決姿勢を強め、高まる「経済の不確実性」に対応できないリスクを指摘しているように思われます。

3.パウエル議長のジレンマ

■米中による報復関税のチキンレースについては、5月12日に発表された米中合意でひとまず互いに矛を収めることになったようです。とはいえ、30%をこえる対中追加関税は米国の実効関税率(約2.4%、2024年実績)よりも相当な高率であることに変わりありません。また、日本や欧州を始めとする主要貿易相手国とのディールはこれからですから、パウエル議長のロジックからすれば「経済の不透明感が後退した」とするには時期尚早と言えそうです。


■トランプ関税についての今後の交渉の如何によっては経済が「インフレ」にも「景気減速」にも傾きかねないため、一般には金融政策を決めきれない状態にあることを指して「パウエル議長のジレンマ」とする見方があるようです。しかし、パウエル議長自身にとってより本質的で切迫したジレンマは、景気の不確実性が高まる中での「利下げの必要性」と、中央銀行の独立性を守るため「政治的な圧力に屈する訳にはいかない」という、2つの相反するミッションの「板挟み」にこそあるのではないでしょうか。

中央銀行の独立性、そのメリットとデメリット

■仮に、パウエル議長が中央銀行の独立性を重視するあまり、「トランプ大統領の圧力には屈しない」として金融政策の自由度を失っているとしたら、それは極めて深刻な事態と言わざるを得ないでしょう。もちろん、時の政権の短期的な人気取りに金融政策が使われることは避けなければなりませんし、過去の実証的な研究からも中央銀行の独立性と物価の安定には強い関係性があることが指摘されていて、中央銀行の独立性は経済の健全な成長にとって極めて重要であることは論を待たないでしょう。

「ガバナンス」「全体最適」「パフォーマンス評価」

■とはいえ、中央銀行の独立性を絶対視するのも、バランスを欠いた議論だとする見方があることには注意が必要でしょう。というのも、独立性が認められた中央銀行は、構造的なガバナンスの問題と隣り合わせにあるからです。例えば、国防を担う行政機関は文民統制(シビリアンコントロール)により、選挙で選ばれた政治家が最終的な意思決定の権限を有する国が多数派といって良いでしょう。ちなみに、戦前の日本の軍部は統帥権をたてに実質的な「独立性」を獲得したことで暴走し、日本を破綻に追い込んだとする見方が戦略家の間では定説になっています。そう考えると、金融政策を担う行政機関である中央銀行に限ってそうした統制が無用と考えるのは、ある種のバランスを欠く見方に感じられます。

■また、「省益あって国益なし」という言葉が象徴するように、縦割り行政の問題は洋の東西を問わず指摘されるところです。中央銀行についても、特にリーマンショックのような経済危機を経て、インフレ目標などの「狭義の政策目標(マンデート)」だけでなく、政府と連携してより広い役割や危機対応が求められるようになっています。つまり、中央銀行としての使命だけを考えて動く「部分最適」ではなく、国益を考えた「全体最適」がより求められるようになっているようです。


■そして、国の一行政機関に過ぎない中央銀行へのガバナンスを機能させ、適切な活動を促し、時にその独善を牽制するには、厳格なパフォーマンス評価が重要になります。ちなみに、パウエル議長のこれまでの実績を振り返ると、コロナ禍後の世界的なインフレ局面では「インフレは一時的」と判断して利上げのタイミングで大きく出遅れるなど、そのトラックレコードはお世辞にも褒められたものではないでしょう。

トランプがパウエルを攻撃し続けるワケ

■こうした観点から改めて考えると、①日本の総理大臣と違い直接選挙で選ばれる国家元首であるトランプ大統領が、ガバナンスの観点からFRB議長の去就に口を出すのは、巷でいわれるほどの違和感はないように思われます。また、②省庁間の縦割りを排した全体最適の観点からは、トランプ大統領が進める経済政策の副作用の緩和、援護射撃をFRBに期待するのは、至極全うなものとすることもできそうです。そして、③パフォーマンスレビューの観点からいえば、表現の是非は置くとしても、トランプ大統領がパウエル議長に辛口な評価をつけるのも致し方ないように思われます。


■現在のトランプ大統領とパウエル議長の関係は、好ましいものとは言い難いように思われます。もちろん、利下げを拒むパウエル議長を「愚か者で何も分かっていない(A fool, who doesn’t have a clue)」と切り捨てるトランプ大統領の物言いには閉口させられます。しかし、「今後の金融政策はデータ次第」と繰り返していれば十分なこの局面で、わざわざ「トランプ大統領の要求は全く影響しない(Doesn’t affect at all)」と言い放つパウエル議長の対決姿勢も、同様に大人げない対応に思えてきます。


■過去の判例を盾に「私を解任することはできない」と明言するパウエル議長ですが、かつてNYの大手弁護士事務所デービス・ポークで企業金融の分野で活躍した辣腕弁護士らしく、「理詰め」で自身の正当性を主張することには長けているようです。しかし、米国全体を俯瞰して、「インフレと雇用」という狭義のFRBの政策目標よりもさらに重要な米国の国益のためにホワイトハウスと連携するような姿勢は、現状ではほとんど見られないように思われます。

ベッセントの成果を台無しにしかねない両者の確執

■現在、トランプ政権はベッセント財務長官がイニシアティブをとる形で意外な柔軟性を発揮し、中国を含む貿易相手国とのディールを通じて関税措置の緩和に踏み出しています。しかし、先に見た4パターンのシナリオ分析で見た通り、パウエル議長の対決姿勢はホワイトハウスによる路線転換の成果を大きく削ぐ可能性がある点については、注意しておく必要がありそうです。


■トランプ政権は、①経済活性化、②国内産業振興、③財政・貿易赤字の縮小、④国際秩序に挑戦する中国の抑え込み、といった米国の国益を追求するために関税を利用しようとしています。しかし、このままトランプ大統領とパウエル議長の確執が続くようなら、「伝説のトレーダー」が懸念するように米国の金融市場が再び足元をすくわれる事態も想定しておく必要があるかもしれません。そう考えると、米国経済や株式市場にとっての最大のリスクは、予測不能なトランプ大統領というよりも、ホワイトハウスとFRBの「頑なさ」が激突する、相互理解・連携の欠如にこそあるのではないでしょうか。

まとめに

パウエル議長はFOMC会合後の会見で早期利下げの可能性を明確に否定しましたが、景気の先行き不透明感の高まりやインフレの落ち着きを考えれば、自らの選択肢を狭めるような情報発信にはある種の違和感を覚えます。


今後の米国経済は金融政策と関税措置についての組合せから、4つのシナリオに分類できます。そして、FRBが政策金利の据え置きを続ける限り、金融市場にとってのベストシナリオは遠のくこととなります。


市場では「利下げ」にも「利上げ」にも踏み切れない状況を「パウエル議長のジレンマ」とする見方がありますが、より本質的で深刻なジレンマは、「景気対応の利下げ」と「FRBの独立性を守ること」の板挟みにこそあるのではないでしょうか。


仮に、パウエル議長とトランプ大統領が互いに頑なな姿勢を続けるなら、伝説のトレーダーが指摘する「最悪のシナリオ」が現実味を帯びてくる可能性があり、注意が必要でしょう。

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