過去の政変時に日経平均株価はどう動いたか
2021年8月26日
●五輪開催年は首相交代の傾向、日経平均の年間騰落率は東京大会の1964年で0.7%下落。
●ただ、全体では首相交代と株価に法則性はなく、株価に強く影響したのは当時の経済・金融環境。
●なお、与野党の政権交代時は4回とも株高に、ただこれも当時の経済・金融環境の影響が大きい。
五輪開催年は首相交代の傾向、日経平均の年間騰落率は東京大会の1964年で0.7%下落
8月25日付レポート「政局に変化が起こりやすい五輪開催の年」では、日本で開催された過去3回の五輪の年に、いずれも首相が交代していたことを指摘しました。また、衆院議員の任期満了で総選挙が実施されたのは、戦後1回だけですが、その年も首相交代となったことをお伝えしました。今回のレポートでは、このような政変が発生した年に、日経平均株価はどのように動いたかを検証します。
まず、東京大会が開催された1964年、第3次池田勇人内閣が退陣し、第1次佐藤栄作内閣が誕生しました。国内景気は1962年10月から1964年10月まで拡張局面にありましたが、景気過熱を受けた日銀の金融引き締めなどにより、東京大会終了後は後退局面に転じ、証券不況(1965年の昭和40年不況)に突入していきました。このような状況下、1964年の日経平均株価の年間騰落率は-0.7%となりました(図表1)。
ただ、全体では首相交代と株価に法則性はなく、株価に強く影響したのは当時の経済・金融環境
次に、札幌冬季大会が開催された1972年、第3次佐藤栄作内閣が退陣し、第1次田中角栄内閣が誕生しました。この年は、日銀の金融緩和期で、景気拡張局面でもあったため、日経平均株価の年間騰落率は+91.9%に達しました。そして、長野冬季大会が開催された1998年、第2次橋本龍太郎内閣が退陣し、小渕恵三内閣が誕生しました。当時の日本は金融危機に直面しており、日経平均株価の年間騰落率は-9.3%でした。
なお、戦後1回しかない衆院議員の任期満了による総選挙は1976年に実施されました。衆院選の結果、敗北した三木武夫内閣は退陣を余儀なくされ、福田赳夫内閣が誕生しました。この年は、日銀の金融緩和期で、景気拡張局面でもあったため、日経平均株価の年間騰落率は+14.9%となりました。以上より、首相交代と株価には明確な法則性はなく、株価は経済・金融環境に、より強い影響を受けていたことが分かります。
なお、与野党の政権交代時は4回とも株高に、ただこれも当時の経済・金融環境の影響が大きい
ここまで、五輪開催などの政変ジンクスと株価の関係をみてきましたが、最後に与党から野党に政権が交代した年についても、株価との関係を確認します。自民党が結成された1955年以降、与野党の政権交代は4回ありましたが、いずれも日経平均株価は上昇しました(図表2)。1993年と1994年の株価上昇は、日銀による緩和基調の維持や、政府による公的資金活用の株価対策(1992年8月)などが影響したとみられます。
また、2009年は前年のリーマンショックを受けた世界的な金融緩和の動き、2012年はアベノミクスへの期待が、それぞれ株高の要因と推測されます。このように、一見すると、「与野党の政権交代で株高」という規則性が連想されますが、詳しくみると、やはり、その時の経済・金融環境の影響が大きいと思われます。ただし、2012年のように、新政権への強い期待が形成されれば、株価押し上げにつながるケースもあるといえます。